グランドツアーへようこそ 4

オスカー

 懐かしいという感情には縁が薄い。
 だいたい、それほど時間が経っているわけでもない。
 だが、夜の大陸を見下ろすと戻ってくる感覚があった。
 星の間から何度も見下ろした。力を送った。思い入れがある。
 宇宙船は夜のうちに山中に着陸した。仮眠約4時間、薄明、オスカーは旅装を整えてラウンジへ出た。
 少女達はすっかり準備万端でテーブルを囲んでいた。
「よう、お嬢ちゃんたち。よく似合ってるぜ」
 視察先の民俗データに合わせたシンプルなデザインのワンピース。長いフレアスカートが足首近くまでを覆っている。清楚な感じで悪くない。
「それにしても、ずいぶん早起きなんだな」
「わくわくしちゃって眠れなかったよ」
「レイチェルったら、遠足前の子供みたい」
 じたばたと手を動かすレイチェルの後で、アンジェリークがくすくすと笑っている。
「はは。で、あいつは」
 アンジェリークはあいつって? というように首をかしげた。
「ヴィクトール様なら、船の方たちと向こうの――」
「ワードルームか?」
「だと思います」
 ワードルームって?と言いたげな曖昧な笑み。
「……ほっといて朝食にしちまうか」
「えー!」
 レイチェルが声を上げた。
 仲間はずれを非難されるのかとオスカーは反射的に身構えた。
「ご飯なんてビスケットでも錠剤でもいいって。早く外へ行こうよ」
「エルンストさんみたいなこと言っちゃって」
「もう、さっきからうるさいよ」
「成長期にそんなこといってたら、いい女になれないぜ?」
「オスカー様までそんな失礼なこと言うんだ」
 レイチェルは他愛なくふくれた。
「だがまあ、せっかくの旅先なら、外で食うのも悪くないな。とりあえずコーヒーでも貰っておくといい」
 壁際に控えている従卒を指で呼んで頼むと一言。レイチェルが一緒なら細々世話を焼かなくても大丈夫だろう、と思いながら翻した足は、漠然と夢には見たが結局入ることを許されなかった士官室へと向っていた。立哨に唇の前で人差し指を立てて見せ、わざと荒いワンノックでドアを引く。しかし彼の脚は、呪縛されたかのように決して敷居を跨がなかった。
「ヴィクトール、いるか」
 彼は快活に声をかけた。
「少し早いが出よう」
「――はい」
 男は紙巻煙草を灰皿に押し付けながら立ち上がった。近くの士官にじゃあ、と手を挙げつつソファの後ろに回る。
 白いシャツに黒いズボンといういでたちのヴィクトールは、ほとんど軍服の上衣を脱いだだけのようで、あたりにとても馴染んでいる。
 だがこいつは、その職をまさに捨てようとしていたのだ、と思い出したのはその時だった。辞職願は受け入れられていない。召命を受けたときのヴィクトールは予備役だった。聖地の警備に関与する身として、経歴くらいは知らされている。心の中で何が起こったかまでは、知りようもないが。
 栄達と名声、信頼と尊敬、こういった士官室に入る権利を捨てるというのはどんな気分だろうか。一度たりとその確かな重みを感じたことがなく、撤退の許されない場所にいるオスカーには掴みがたい。
「参りましょうか」
 考えにふけるうちにヴィクトールは戸口まで来ていて、オスカーを促した。
「ああ」
 オスカーは廊下を歩き始めた。
「お嬢ちゃんたちがお待ちかねだ。さっさと町へ下りてブランチと行こう」
 船は山の中腹、僅かな平地にとめられており、外は岩がちな土地に広葉樹の森が広がっていた。急斜面の多い山道を急ぐ。
 スマートにエスコートしようとするオスカーよりも、ヴィクトールの指示援助はいつも少し早かった。経験に裏打ちされた自信、的確な判断。長剣で枝を薙ぎ払いながら横目で見る。素早くロープを結ぶ手際も素晴らしい。
 なるほど、確かに有能な軍人なのだろう。
 しかし、とオスカーは反射的に反発した。
 精神鍛錬の出来た男が、職務から逃げ出したりなどするものか。付き合いもない人間を憶測でけなしたりなどするものか。
 女王陛下は、サンタクロースを信じる子供のように、苦難が人を鍛えると信じているのだ、とオスカーは思う。あるいは不完全な人間だとは承知の上で、みんなで成長していけたら素敵よね、とか?
 オスカーは前を行く厚く逞しい背にもう一度目を向ける。
 敵意は霧散した。
 厳しく自分を鍛え上げてきた男が、任務に背を向けるというのは、自分に見切りをつけるというのはどんな気分だろうか。


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