グランドツアーへようこそ 3

ヴィクトール

 野郎相手に振りまく愛想などあるかとばかりの仏頂面も、場所が場所なら似つかわしく見えるのだと知った。内実に気付いてしまえばただの不機嫌な面だが、整った顔立ちは笑みの消えた表情を凛々しく見せる。
 そして傲然として炎の守護聖がそこにいるだけで、将兵の意気はあがる。
 自分もあの一員であれたら、とヴィクトールは思い、密かに顔を顰めた。いいや、俺もあのような他愛ない崇敬を抱いていたのだ。その人の、まるで放蕩息子のような振る舞いを目にするまでは。
「急ですまないな」
 自身も予定の変更を余儀なくされたと、しばらくはむくれていたと噂に聞くオスカーが、表敬のため迎えに出た艦長に微苦笑を向ける。
「ご乗艦を賜りまして光栄です」
 艦長はおののく指先をそろえて敬礼した。
 両側に整列した兵の中を通り抜けてタラップを上る。
 案内士官の後をついて歩きながら、オスカーが小声で聞いた。
「艦型は分かるか、ヴィクトール」
 彼は首を横に振った。
「申し訳ありませんが、自分は陸上勤務が長かったもので」
 オスカーが無言で浅く肯く。きょろきょろとあたりを見回していたレイチェルが振り返った。
「でもこれ、かなり新しい艦だよね」
「新造艦を振り分けられるってことは、けっこう暇なんだな」
 声を潜めてオスカー。
「その仰りようはちょっと……」
 あんまりです、とヴィクトールは眉もひそめた。
「ま、平和なのはいいことだろう」
 多忙中にねじこんだのでなくて安心したということなのか、しかし言葉選びに気遣いがない。まったく、と溜息吐きたいのをぐっとこらえる。
 船内という限られた空間の中で望みうる限り広く居心地よくしつらえられた貴賓室、各自ベッドルームに荷物を放り込み、ダイニングスペースで大陸の地図を拡げる。
「超VIP待遇っ。やっぱり聖地の威光ってすごいんだね」
 弾む足取りで戻ってきたレイチェルが、不思議そうに炎の守護聖を見上げる。
「てゆーか、神様扱いされてない?」
「派遣軍は伝統的にああなのさ。女王府直属機関でも、研究院とは少し空気が違うかな」
 オスカーは肩をすくめた。
「ほら、エルンストなんか態度は丁寧だが、俺達を研究対象のモルモットか何かだと思ってやがるからな」
 仕事に対する熱意の塊のようなの研究員は彼等の間でのお決まりの冗談だった。
「派遣軍に限った対応ではないかと思いますが」
 ヴィクトールは笑いに紛らわせ、控えめに異議を挟んだ。
「そういえば、私もほとんどタメ口だもんなぁ」
 研究院のノリの方が特殊なのかも、とレイチェルが首を傾げる。
「女王になろうっていうなら、それくらいの気概はあっていいと俺は思うぜ?」
「だってよ、アンジェー!」
 レイチェルは傍らで小さくなっている少女を振り返った。アンジェリークはふー、と溜息を吐き、
「緊張しちゃった」
と、はにかんだ。普通の女子高生には今は、女王どころか女王陛下の賓客さえ荷が重い役回りらしかった。
「ま、こういうのは慣れの問題だな」
と、オスカーがしたり顔で言った。
「じゃあ、オスカー様も最初は緊張なさいました?」
「ん? それはどうだったかな」
 オスカーは首をひねっている。
 緊張に震えるオスカーなど想像できたものではない、と口に出せぬまでも思うのが、厚顔な男への当てこすりなのか、軍神崇拝の名残なのか、ヴィクトールには判断がつかなかった。
「ああ、でも――お嬢ちゃんには、俺が昔軍人を目指していたって話をしたよな」
「はい」
 こくこくとアンジェリークがうなずく。
「もう何ヶ月かで卒業任官というところで聖地に召されてな。あのまま外にいたら少尉見習い、先任士官にいびられ、上官に使いっ走りにされてってペーペーだぜ。その俺に、胸章肩章きらびやかな佐官将官が様付けでうやうやしく接して来るんだから、あれはちょっと――」
 オスカーの口元を苦笑がよぎった。
「キツかったな」
 気分が良かったぜと続いても良さそうな気さえしていたヴィクトールはと胸をつかれた。
 無神経なとセイランがくさしているのはよく聞いた。同意の表明こそしなかったが同感だった。しかし少なくともその時には、オスカーは鋭敏だったわけだ。
 二十歳にもならない若造に膝を折ることによって、将校達は彼を序列の外側に追い出したのだ。
 そして今、自分も同じことをしている。
 お前の夢は夢で終わったのだと、告げ続けている。
 それなら、と彼は自問する。
 すべては終わったことなのに、オスカーに自分達の規範を期待する理由は何だ?


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