グランドツアーへようこそ 5

ヴィクトール

 山を下り標識を追って行くと、じきに石畳の街道へ出た。小さなカフェで腹ごしらえして中央の島を目指す。
 歩調を落として歩き出しながら、オスカーが前方にある紫色の尖塔を指差した。
「あれは、クラヴィス様への感謝で建てられた神殿だ」
「わぁ、素敵な建物ですね。ここの人たちが守護聖様をとっても大切に思ってるのがわかります」
「待って、それじゃあ――」
 レイチェルがくるりと振り返った。道はちょうど小高い丘にさしかかり、遠くの村々まで見渡せた。
「あれも、あれも、あっちのもそうなんじゃない!?」
 家々の間、色とりどりの館が天を指している。
「ああ。これだけ偏りがないというのも、一国単位じゃ珍しいんだぜ」
「それっていいこと? 人為的ってこと?」
 レイチェルは煥発だ。オスカーが満足げに目を細める。
「両方だ」
 視線を先に戻せば、すぐに中央の島が見えていた。目的地がそこにあるのにペースを落とす歩き方に慣れていないヴィクトールは、足がもつれそうな気さえした。美しい景色に目を見張り、店先を覗いて歓声を上げる少女たちを見ていると、視察を願い出た高い志はどこへ行ったのだと不可解にもなる。
「きゃー、かわいいっ」
「旅の思い出に贈りたいところだが、今日はやめておこう。あまり親密になるとあとで責められるんでな」
 ついでに言えば、にこにこしてそれを眺めているオスカーも、とても任務を覚えているようには思えない。
「遠足じゃないんですから……」
「似たようなもんだろ」
 オスカーは浅く首をめぐらせて答えた。
「陛下は参考になるかどうか分からないと仰せになった。陛下にお分かりにならないはずはない。それはほとんど、ないとおっしゃったのと同じだ」
 言いながら頭を戻す。女王の騎士の横顔に迷いはない。
 失礼しました、と呟いてヴィクトールは引き下がった。非を認めるならはっきり言ってもらおうかと、恫喝されたこともなければ、したこともなさげなオスカーの鷹揚な態度だ。
 船場へ着けば、海辺の風は強い。
 乗り合いの渡船に片足をかけ、少女たちの手をとって助けるオスカーは、どこか癪だがありていに言って様になる。
「お前にも?」
とふざけて差し出された手をヴィクトールは笑って押し返した。
「海に落ちますよ」
 これでも鍛えてるんだが、とオスカーはぶつぶつ文句を言った。
 凝った彫刻のついた船や小さな魚にいちいち声を上げる女王候補たちを眺めているうちに短い航海は終わった。港には神殿から迎えが出されていた。
「きゃあぁ――!」
 船から降りたとたん、レイチェルが高く長い悲鳴を上げた。どうした、と聞く間はなかった。
「私のバッグ!!」
 オスカーがきっと振り返り、
「追うぞ」
 鋭く言った。その眼差しが自分を突き抜けて背後を見ているのが、ヴィクトールには分かった。ぱらぱらと出迎えの男たちがオスカーに従って走り出した。自分が無視されたことに傷つけられ腹を立てているのが、ヴィクトールには分かった。
 島の中央に立つのは炎の守護聖その人にゆかりの神殿だというが、少なくとも執務室のような威圧感はなかった。
 ヴィクトールは客間のドアを閉じて、沈み込んでいる天才少女を見下ろした。
「あれ、育成データも大事な資料も全部入ってたのにー」
 レイチェルは半泣きになっていた。彼はぎくりとした。まったく訓練をつんでいない状況にうろたえた。どうしたものかと頭をかきむしる。
「ね、きっと大丈夫よ、レイチェル」
 アンジェリークがその肩を抱いて椅子に座らせた。
「オスカー様を信じて待ってましょう」
 傍らに腰を下ろして、宥めるように背をなでる。いつもはレイチェルの背に隠れているようなアンジェリークが、僅かな歳の差の分だけお姉さんらしく見えた。
「すまん、任せるぞ」
 背後からこっそりと耳打ちしたヴィクトールに、彼女はおどけた敬礼で答えた。彼は苦笑をかみ殺して部屋を出た。とはいえ、持ち場を離れるわけにもいかない。ドアを背に、立哨よろしく姿勢を正した。

 室内で気を紛らわせるためのティーセットが広げられているところへ、炎の守護聖は帰ってきた。
 差し出されたバッグにレイチェルは飛びついた。
「ほんとにありがとう、オスカー様!」
「悪いが、中で壊れてない保証はないんだ」
「ううん、とにかく戻って来てよかった」
「じゃ、俺は神官に挨拶してくる。そのままゆっくりしててくれ」
 泣き笑いの頭を撫でて踵をかえす。外へ出たオスカーは不意に、廊下で足を止めた。
「いいとこ取っちまって悪いな」
 向かいの壁にもたれて人の悪い笑みを見せた。確かに今、レイチェルにとって彼はヒーローだろう。ヴィクトールは彼を、眉間を寄せて凝視した。
「……それより俺は、女の子に泣かれて往生しましたよ。ああいうのは貴方の方が向いているでしょうに」
 口を開くと、らしくもない愚痴になった。オスカーは澄まして言った。
「大切な女王候補相手にあまり親密度をあげると、陛下の疑念とご不興を買う」
 女の子の扱いについては異論はない訳だ。
「困ってる子を慰めるだけでしょう。話してるだけでそんなに上がるものですか」
 傷心につけこんで慰め以上のことをするからそうなるのではないか、とは言外に皮肉る。
「そうか?」
と、オスカーは眉を上げた。
「お前とだって、今上がってるだろう?」
「そうですか?」
 ヴィクトールは唇を歪めた。それがどんな色のものであっても好意をあけすけにする習慣はない、と思うことそれ自体が、もはや嫌ってはいない証拠ではあったが。
「よし。それじゃ帰ったら占いの館で確認しよう」
「はあ」
 オスカーはにやりとした。
「何を賭ける?」


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