「シャワールームはあっちだ」
オスカーは部屋の隅のドアを指差した。
超低空に浮いていた手はそれだけ言うとぱたりと落ちた。
「オスカー様はどうされますか」
「俺はいい」
半ば目を閉じながら、オスカーは呟くように答えた。
「手をお貸ししましょうか?」
ヴィクトールは覗き込んだ。
「いや……」
身体が軋んで動きたくないんだ、というのが本音のはずだったが、オスカーはゆったりと余裕の笑みを浮かべた。
「いましばらくはこのまま、余韻に浸っていたいのさ」
強がりがいじらしくていとおしくてたまらない。
「おい、なにを笑っている」
ヴィクトールはオスカーの前髪をかきわけ、そのかんばぜを目を細めて見た。
「貴方は素敵な人だ」
お前に言われるまでもないとでも言いたげなオスカーの眼だ。
「……それじゃ、余韻に浸ってらっしゃるところ申し訳ありませんが」
半分は真剣に寛恕を乞うたつもりだったが、揶揄と取ったらしいオスカーは顔を赤くし、ヴィクトールは釣られて吹き出した。
ゆっくりと、惜しむように笑みをおさめる。
「どうしてこんな情けをかけてくださったんですか」
オスカーは目を瞬いた。
「なんだ、楽しめなかったのか。随分冷めたことを言うじゃないか」
「いえ、その」
「ま、俺も男相手は百戦錬磨とはいかないしなあ」
しみじみと呟く。
「いいえ、天にも上る心地でした」
ヴィクトールはゆっくりと身を屈め、唇を盗んだ。微かに苦い。苦い直感が走った。
「生きてて良かったって、こういうときに言うんでしょう?」
「……っ、誤解するなよ」
勢いよく跳ね起きようとして、オスカーは顔を顰めクッションに沈んだ。両手で目元を覆った。
「そんな理由で身体を許すほど、俺は」
ごにょごにょと語尾がくぐもっていく。
馬鹿じゃないと言ったのかいいヤツじゃないと言ったのか良くわからなかった。
待っても本音を吐きそうもないと見てヴィクトールは腰を上げた。
「お言葉に甘えてシャワーをお借りします」
シャワールームは簡素なつくりだったが、蛇口をひねるとすぐに熱い湯が飛沫をあげて流れ出した。頭からシャワーを浴びながら、彼はもう何も考えまいとした。
遊ぶと決めたときのオスカーの羽目の外し方は底が抜けている。刺激と快楽に目がない。まるで別人だ。だが翌日になれば魔法は解け、夢は醒め、彼は女たらしだが仕事は確かな守護聖に戻る。
朝にはすべてが終わっているだろう。後はオスカーの胸先三寸。運がよければ普通の付き合いは続くかもしれない。昼食を共にしたり、剣を合わせたりは。
それはそれで、楽しくも苦しい日々になる。
恵まれすぎていて気が狂いそうだと思うことはもうないだろう。
聖地は今や楽園ではなくなった。
ほっとするようなことじゃない。が、彼は知らず知らずのうちに笑い出していた。
叶いそうもないヴィジョン、届きそうもない目標。
それはよく知った世界だ。慣れ親しんだ状況だ。
どう対応するのかよく分かっている。努力あるのみだ。
ヴィクトールはシャワーを止めた。ひとつ息をついた。まだ立ち上る湯気の向こうで鏡の中の自分がどんな顔をしているのか想像もつかなかった。
身支度をして新しいタオルを取り、盥に湯を満たす。
暇を告げる前に身を清めて頂こう。そして言わなくては。明日から覚悟しておいて下さいと。
俺は貴方を愛している、と。