fragment 2

「早春賦」の続き

 新しい女王の誕生、侵略者の撃退、小さな世界の救済。
 俺たちにはいつだって喜ぶべきことがあった。
 気を紛らわせてくれる祝祭があった。
 だけど次に別れが来るときには、いったいなんの慰めがあるだろう。
 剥き出しの別れと向き合わなくてはならなくなる。
 今からひどく、気が重い。
「ずいぶん気が早いんですね」
 ヴィクトールは幾分呆れたような顔をしていた。
「何が」
 オスカーはアイスブルーの瞳で彼を見た。
 楽園に永遠があるように思えるのは、地上から観測した場合の話だ。俺たちには明日の保証もない。
 サクリアがいつ離れるのか、誰にも分からないのだから。
 最初の徴が来るまで誰も気付かないし、兆候が来たときにはもうすべては確定している。あとは時間の問題だ。
 顔を背けて溜息をつく。腰掛けたベッドのシーツに視線を這わせる。
「ま、お前も実際に経験してみるまでは理解できないかもしれないな」
 だが俺にはもう分かっている。聖地に生きるというのがどういうことか。ここでは一生の友人を得ることも、生涯の恋人をつくることもできない。人生は出会いと別れの連続だ……何千、何万もの。
「たぶんその時になれば、貴方には喜べることがあると思いますよ」
 ヴィクトールは覆いかぶさるようにオスカーを抱きしめた。微かに笑っているような気配がオスカーの耳をくすぐる。
「俺から自由になれることを喜べるくらい、これから嫌というほどおつきあいして頂くつもりですからね」
 オスカーは男の腕を掻き分けるようにして顔をあげた。
 馬鹿なこと言ってると本気で愛想つかしちまうぞ、と意地悪を言おうとして――そんな日が来るとはとても思えず、黙りこんでしまった。
 ヴィクトールは返事を待つかのように少しの間彼を見ていたが、
「……抗議なきは同意と見做すということで」
 オスカーを抱き込んだまま、ベッドに押し倒した。
「うわ、ま――ちょっと待てっ」

セレスティアのホテルにて

 セレスティアとはよく言ったもので、濃藍の夜の天に星、地に灯を散らした景観はさながら天青石のようだった。
「慣れというのは恐ろしいもんだな」
 窓の外を見やりながら、ヴィクトールはぼんやりと呟いた。
「何だって?」
 空いたグラスを出せと、ボトルを持ち上げる仕草でオスカーが示す。
「あ、すみません」
 さしだしたフルートグラスに細かい気泡が立つ。
「で」
と、オスカーが話の先を促した。
 ヴィクトールはソファにくつろぐ恋人の姿を見た。
 互いの週末が完璧に空いたら、セレスティアのホテルで過ごすことにしようと言われた時には別に何も疑問には思わなかった。当たり前のようにインペリアルスウィートだった時に目が点になった。俺にはこの人とつきあっていくのは無理なんじゃないかと、心の底から思ったものだったが。
 笑い話のつもりで言ったヴィクトールに、オスカーは「ほう」と低く答えてよこした。
 ウェルカムドリンクくらいで酔うはずもないのに、目が据わっている。
「奇遇というべきなのかな。どこのフロントでだったか、俺はあんたがシングルふたつと言いやがった時に、こいつとは終わりかもしれんと覚悟したぜ」

ディルフィニウム

 宮殿の磨きぬかれた長い廊下の半ば、ふいに後ろから呼び止められてヴィクトールが振り返ると、大きな花束を抱えたオスカーがいた。
「……どうなさったんですか、それ」
「ん? こいつは陛下にお届けするところだ」
 オスカーは腕の中の花々を眺め、相手を探るように見て、にっと笑った。 
「と言っても俺の私心ある贈り物じゃないぜ。補佐官殿に頼まれてな」
「それは重畳です」
 ヴィクトールは口元に微苦笑をきざんだ。立ち止まったままオスカーが追いついてくるのを待つ。
 体格のよいオスカーの胸を埋めるほどの花群。とりどりの色と芳香の洪水。そして、それに負けないだけの華ある恋人。
「まったく貴方は、何をしていても様になる」
 単なる運搬係だとしても、自分だったらそぐわなすぎて腰が引けただろうと思う。花のある生活それ自体が異界めいて感じられた。
「そういやあんたな」
 肩を並べたオスカーが、歩き出しながらぼそりと口を開いた。
「自分が抱えて行ってもおかしくない花があるかとエトワールに聞いたそうだが」
「はあ」
「花を贈るような相手がいるのか」
「貴方以外にという意味ですか?」
 ヴィクトールは横目でちらとオスカーを見た。
「俺はディルフィニウムなんぞ貰った記憶はないぞ」
 存外本気で拗ねたような顔をしている。
「貴方に贈るなら真紅の薔薇でしょう」
 ヴィクトールは一笑し、多分抱えては行かずに宅配させるが、と心の中で続けた。
「ひねりがない」
「でなければひまわりだとか……。なあ、俺は花の名なぞそうは知らないんだが」
 音を上げるとオスカーが甘えるように肩を寄せてきた。
「ディルフィニウムもくれ」
「……了解しました」

生ける獅子の像

 ベッドに腰掛け、包みを開けたヴィクトールが息を呑んだ。
「これは…!」
 これくらい驚いてもらえると、悩みがいも、あの手この手を弄したかいもあるというものだ。
「いや、失礼。これにはちょっとした思い入れがあって…。まさか、ご存知だったわけじゃありませんよね?」
 ご満悦のオスカーは枕に頬を押し付けるようにして、寝転がったまま無言で笑っていた。
「これを貴方からもらえるとは思わなかったな……」
 ヴィクトールはしみじみと呟き、いつまでも手の中を見下ろしている。
「人生には、こんな幸運もあるんですね」
 ――贈り物をするからには、喜んでもらいたい。そりゃこっちとしても喜んでもらえるほど嬉しい、が。ここまで極端な反応をされると、不安にもなる。
 オスカーはとうとう余裕をかなぐり捨て、がばと起き上がった。
「おい、あんた!俺に何か理不尽な責任を負わせるつもりじゃないだろうな」
「はい?」
「たとえばそれが、お前のくにでは永久の愛の誓いだとか」
 だとしたらたいがい間の抜けた奴らだと思うが、異文化摩擦の怖さは経験上身に沁みているので余計なことは言わない。この男の堅物具合からして、ありえないことでもなさそうなのが恐ろしい。
 ヴィクトールは何か言いかけた言葉を飲み込んだ。たっぷりと間を取り、琥珀の瞳に笑みを滲ませた。
「だとしたら、何か不都合でもあるんですか?」
「……いや、ないな」
 オスカーはふっと微笑し、ヴィクトールの首筋に頭を埋めた。
「ああいいとも。そいつにかけて永久の愛を誓おうじゃないか」


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