占いの館にて、あるいはグランドツアー6
深いドレープをとった暗幕を片腕で持ち上げ、少し身を屈めるようにしてテントに入ってきたオスカーが、香のくゆる中に一歩踏み出しながら口を開いた。
「おい、占いを頼む」
「えーーっ」
柱の影で話をしていた女王候補たちは、反射的に声の立った方を見た。
(あぁ、メルさん、いっぱいに見開いた目から瞳が零れ落ちそう)
でもどうしてそんなに驚いているのかしら。アンジェリークはレイチェルの腕を取ってそう囁こうとした。一歩早く、少女は同じことを直裁に質しているところだった。そうか、彼女ならこんな風に振舞うのだ、とまたひとつ感心する。
「だってオスカー様、いつもひやかしに来るばっかりでメルにお仕事くれないんだもん」
「別にメルを冷やかしに来てるわけじゃない。お嬢ちゃんたちにでも会えないかと思ってな」
「それ、もっと失礼だよ!」
「おっと」
我が事のように憤慨するレイチェルをオスカーが宥めにかかる。
置いてけぼりにされたメルは、アンジェリークを見上げて続きを呟いた。
「オスカー様は、好意を勝ち取るのも人の心を測るのも、自力でやるのが主義なんだって」
「ああ、いかにも貴方がいいそうな…」
後から入ってきたヴィクトールが、うなるように言った。
「それのどこが悪いんだ」
オスカーは真顔で返し、最初の目的を思い出した風に占い師を振り返った。
「そうだ、こいつとの親密度を出してくれ」
と、立てた親指で精神の教官を指し示す。
「はい、まかせて」
メルは八重歯をのぞかせてにっこりした。
結果が出るまでの間に、オスカーは女王候補たちに声をかけて古いデータを借り受けた。
「ほらみろ。別に口説かなくたって親密度はあがるんだ」
「おかしい……」
ひらり渡された二枚の紙片を両手にして、ヴィクトールは眉間に皺を寄せた。
「ヴィクトールさん?」
「おっ、すまん、メル。こっちの話だ。気にするんじゃないぞ」
小さな占い師の頭を撫でながら、精神の教官はまだ首をひねっている。
「何もおかしくはないだろうが」
往生際が悪いぞ、とオスカーが不興げに言った。
「しかし単純接触効果にしたって、第一印象が悪くないことが条け……」
ヴィクトールははっとして言葉を呑んだ。第一印象最悪でしたがなんて、言っていい相手ではない。が、これでは言ったも同然だ。
「ほほう」
オスカーが剣呑に目を光らせた。
「いえっ、何でもありませんっ」
大慌てで首を振るヴィクトールをしばらく眺めた後で、
「賭けは、俺の勝ちだよな」
と、オスカーは矛先を変えた。
「さーて、何をしてもらおうか」
晴れやかに笑うのがいかにも胡散臭い。
「オ……オスカー様?」
ヴィクトールはじりじりと後ずさった。
「んな顔するなよ」
オスカーが苦笑した。その表情の中に、混じりけなしの困惑があった。
「この後、剣の手合わせをしてくれないか」
「そんなことでいいんですか?」
拍子抜けがした、とヴィクトールは声音にも顔にも露わに出した。
「ただし手加減なしで」
すかさずオスカーが言った。ぴんと一本指を立てて続ける。
「で、お互い負けたら相手の言うことをきくという条件でどうだ」
オスカーはあきらかに勝つ気でいる。が、自負がある分負けたら負けたでしつこく再戦を求めるだろう。ヴィクトールはがっくりと項を落とした。
「泥沼に嵌りそうな予感がしますよ俺は」
オスカーは声を立てて笑った。腰間の剣の握りを確かめながら、
「それじゃまたな、お嬢ちゃんたち」
と、愛想を振りまくのだけは忘れなかった。
恋人未満なヴィクオス(SP2)、以前の拍手SSからサルベージ
「なんだ、失恋でもしたか」と。
最初に茶化してしまったのが悪かったんだろうか、とオスカーは思う。
沈んでいるのに気付いて慰めてやろうと思っただけなのに。
気晴らしにどうだと飲みに誘うと、ヴィクトールは乗るには乗って、なんでもない振りを通した。
気を悪くしたのでなければ、俺じゃ力になれないってことか、とオスカーは不機嫌に呟いた。
ヴィクトールは睥睨にちょっと身を引いて、
「十も歳下の貴方に、そう情けないところはみせられんでしょうが」
苦笑まじりに言った。
九つだ、と訂正したいのをオスカーはぐっと堪えた。
そうやって言い立てるところがガキだっていうんだぜ、なんて、いつも後輩をからかっているのは自分だ。
天レク後の地上、以前のブログからサルベージ
陽気も極まった春の終わりだった。
目抜き通りのスタンドでコーヒーとベーグルを買って、通り向こうの公園へ渡るまでの30メートル。そこに罠はあった。
口にした飲み物を吹き出しそうになって、むせ返ることしばし。
ヴィクトールはほとんどおそるおそる、ひとつのショーウィンドウに近づいていった。
見間違えようもない姿がそこにあった。
完璧に均衡の取れた長躯、精悍で逞しく世界一ハンサムな軍神が、ただすべての色を漂白されて。
等身大の、よくできた彫像だった。
今にも動き出しそうだ。今にも、道行く女性に甘い言葉を吐き始めそうだ。
見なかったことにして通り過ぎてしまいたい、と心の底から思いながら、彼は画廊のノブに手をかけた。ドアには個展のポスターが張られている。そこにあるのはもちろん知っている名前だ。
「表の彫刻をつくったやつがいたら話をしたいんだが」
主人らしき男に声をかけていると、聞きとがめた芸術家が奥から出てきた。
「貴方さぁ……ここがどこだかわかってる? 飲食物持って入るのやめてくれないかな」
開口一番、これだ。いっそ懐かしくて笑えてくる。
「ああ、すまん」
ヴィクトールは紙袋とカップをドアの外、石畳の端に置いた。
久しぶりだなんて当たり前の挨拶はすまいと思った。画廊の主人から距離をとり、声を潜めた。
「お前、なんてものを衆目にさらしてるんだ。あれは聖地の条規にひっかかるだろう」
守護聖の素顔を描くなど、一介の騎士のように削りだすなど、観賞用に供するなど、なんと畏れ多いことを。
セイランは肩をすくめた。
「言わなきゃ誰がモデルかなんて分らないよ」
「無茶を言うな。俺は一目で分ったぞ」
自分だけじゃない。
宮殿の女官や研究院を初めとした施設の職員、守護聖の私邸の使用人たち、聖地で働いたことのある人間がいる。
それに、何十年に一度かの節目の年、王立派遣軍や女王府に縁深い星の国軍は炎の守護聖の閲兵を賜る。その人がいかに神々しく凛々しかったか、派遣軍では語り草になっていた。
彼がたやすく忘れられるような男だとでも?
数は多くないが、確実に解かる人間がいる。
「本人がいいって言ったんだからいいじゃないか」
と、画家は胸を張った。
「オスカー様が、いつ」
「僕が気が向いたらあなたの像をつくるよって言ったら、楽しみにしてるぜって」
あなたその場にいなかった?とセイランは白々しく首をかしげた。
「そりゃ本気にしてなかったんだろう」
戦闘のさなか、冗談交じりの会話だった。
それに、セイランは人物は描かないと言っていた。人物画は嫌いだが立体なら構わないなんて、どうやって気付けばいい。
「お前は分かっててやってるだろう」
「ノーコメント」
両手の平を晒す芝居がかった仕草。梃子でも動かない、と群青の目が告げていた。
ヴィクトールは深々とため息をついた。
意識して顔を上げると年度の順に並べられた壁の絵が視界に入った。風景画の遠景に道行く人が、抽象的なデザインの中に眼や手が、少しずつ少しずつ、カンバスの上に人間が現れてゆくのを彼は見た。
彫像の長い脚の、半ばまでを覆うブーツの足元に「NOT FOR SALE」の札を確認する。
「……本当に絶対売るなよ」
「言っておくけど貴方にだって売ってやる気はないよ」
醒めた目で、妙に透かし見るようなことを言われてしまった。
またいつか、とあてのない言葉を挨拶代わりにヴィクトールは外へ出た。胸ポケットから端末を取り出した。何かあったらかけてくれと渡されたナンバーが、その中に暗号化されて眠っている。活かすなら今だと思った。
知ってもただ笑っているだけかもしれない。
見に行くと言い出して薮蛇になるのかもしれないけれど。
口実が、いや正当な理由がようやくできたのだ、と考えながらヴィクトールの頬は緩んでいた。
「冬天情景」逆ver、エトワール後オスカーが先に退任して地上で再会
古巣である神鳥の宇宙の王立派遣軍が艦載システムを一新したというので視察を希望したところ、思いの外すんなりと願いは叶った。予算や人員の問題でそのまま聖獣の宇宙に移植できそうにはないものの、十二分に興味深い内容ではあって、ドッグでの見学を終えたヴィクトールは、充足感と共に船を降り、中二階になった指定通路から辺りを見渡していた。
見覚えのあるシルエットもあるが、艦型の新しいものはもう製作順も分からない。大きな設計思想のシフトがあったらしいことだけは見て取れた。
発着場から今しも降下してきた見慣れぬ艦がある。タラップの下で乗組員と整備兵とが落ち合い、敬礼を交わし、引継書を手渡しあって別れる。
ヴィクトールは金属板を組んだ階段を登ってくる男に目を留めた。背丈の高さが似ていて、頭髪の色が似ていて、それだけでまだ慕わしく目が追ってしまう。
足先に落ちる影に気づいて男が顔を上げた。そのアイスブルーの瞳を見たとたん、ヴィクトールは頭の中が真っ白になった。
「オ……」
だんっと最後の数段を駆け飛ばす音がして、手荒く口を塞がれた。きっちり背後を取り警報システムの影に彼を引き込んだところで、聞き覚えのある声が耳元に落とし込まれた。
「悪いな、今はその名は使っていない」
ヴィクトールはようやく力の緩んだ手から脱した。
「い――いったい何を、してらっしゃるんですか!」
「しごく真面目に働いているだけだが。ガキの頃憧れた場所で」
オスカーはにやりとした。ヴィクトールは開いた口がふさがらなくなった。男は背中でパイプ状の手摺にもたれかかり、腕を組んだ。
「いや、しかし、こう簡単に偽造IDに騙されるようじゃマズイだろうとは俺も常々思っていてな。もうちょっと上へ行ったら改革を断行するつもりだ」
ヴィクトールは、一番上にいたことがある男のいうもうちょっと上とはどのくらいのところだろうとぼんやり考えながら、彼の袖のラインと星を数え、徽章を見た。
「三十代で将官なんてのは、流石に無理がある目標だったがな」
なにげなく肩をすくめながら、オスカーのまっすぐな眼差しは、はっきりお前が目標だと告げていた。それがヴィクトールには面映い。そも、あんなのは大きく運に左右されただけの話だと思うが、
「貴方なら、狙ってやり遂げてしまいそうなところが恐ろしいですよ」
「いや、あいにく」
オスカーはかぶりを振りながら腕組を解いた。手摺に片手をつっぱって艦列を見やった。
「明日で四十だ」
「え、あ……」
ヴィクトールは片手で口元を覆い、相手の顔を見返した。
飛び掛ってきた動きは若い豹のように俊敏だった。だが、艦型の主流が変わろうかというのに、人間が変わらないわけなどあるか?自分が無思慮だったと、羞恥に顔が熱くなる。
「いやぁ、お若い。ちっとも分かりませんでしたよ」
声が、裏返りそうにもなった。
「このやろ」
小さくうなった後で、オスカーは今にも噛み付きそうな表情をひっこめた。ぽんとひとつ肩を叩き、
「誕生日プレゼントはお前でいいぜ。きっと用意する暇はないだろうからな」
にっこりと無心する。その笑貌の魅惑はかわらない。ヴィクトールは大げさに肩を落とした。これで俺より年嵩だって?
「貴方という人は、年相応の落ち着いた言動を身に着けようとは思わんのですか」
オスカーはふんと鼻でこたえた。
「若けりゃ若いで、親父臭いことを言うなと文句たらたらだったくせに」
反論しがたいところがあって言葉に詰まったヴィクトールから、ふいにオスカーの視線が外れた。足音が近づいてくる方角を一瞥して身を離した、空軍式のうつくしい敬礼を見せ、歩き始めた。通り過ぎざま耳元で囁いた。
「口外無用だ」
わかってるよな、と声に笑みを滲ませた。