退屈は聖地における最大の敵だ。だというのに何もかも手応えがなくて参る。
誰と剣の手合わせをしてもひやりとすることなんかないし、誰をベッドに引きずり込んでもお決まりの遊戯から逸脱しない。
刺激がない。そう、そうなのだ。
思わず両手を握り締めるほど力をこめてオスカーは考える。
2度目の女王試験からこっち、異常事態に見舞われまくっていたからな。
そこへ来てこの平穏じゃ、拍子抜けもするだろうさ。
俺はちょっと刺激に飢えてる。そういうことに違いない。
きれいに思考をずらし終え、立ち上がった。ワードロープから外出着を選び出し、袖を通す。ホルスターに護身用の小銃をとめる。
結界の向こうでも奇異の目で見られない程度に主星の流行を押さえた装いは、短期の滞在者に近づくにもそ知らぬふりで抜け出すにも便利で、オスカーの愛用するところだった。
部屋を出ながら振り返って壁掛け時計を見た。21時35分。時間はまだ充分にある。
彼は階下に降り、一直線に玄関へ向かった。
「お出かけですか」
ふらりと他出することが多い主のせいなのかどうか、執事は玄関ホールを見渡せるよう戸を開け放って作業する習慣だった。
「ああ」
オスカーは頷いて見せた。いずれ知れる不品行など、隠せば隠すほどみっともない。
「馬は要らない。俺が戻る前にランディが来たら待たせておけ」
日の曜日の朝は、剣の特訓のために後輩がやってくる。今夜は戻らないと言外に告げた炎の守護聖へ、執事はかしこまりましたと頭を下げた。
オスカーは大股に館を出、私邸の門を潜った。
半月が木々を照らしていた。
清らかで美しい聖地の夜。第二の故郷と愛してはいるが、時折耐え難くなる。それは単純に、静謐に耐えかねて叫びだしたくなるようなものだ。そういう人間がいるのは仕方がない。仕方ない、と周囲に認めさせてからは事は簡単だ。外出がばれても、余程のことがなければ口頭注意で済む。実際にしっぽを掴まれることなど稀ではあったが。
オスカーは足を緩め、夜の逍遥だといって通るようなスピードで木立を抜けていった。言い訳が哨戒では駄目だ。今夜は帯剣していない。
だが抜け道にたどり着くまでにオスカーの歩みはますます遅くなり、重くなり、ついには完全に止まった。
外へ、出るならば。
どんな不夜城よりも行きたい場所がある。どんな美姫よりも、会いたい人がいる。
「くそっ」
彼はおもむろに目の前にあった木を殴りつけた。拳から肘までがじんと痺れる。歯を食いしばった。そのまま幹に腕を当て、顔を伏せた。
こんな風に未練が残るはずじゃなかった。
俺はあの男から、望んでいたすべてを手に入れた。たっぷりとありついた。
別れたくないと泣いて縋る自分などありえないと思ったのと同じくらいに、さみしさにひとり煩悶する自分だってありえないはずだったのに、このざまはどうだ。
「オースカーっ」
「うわッ」
突然背をどやされて振り返った先には、極彩色の同僚がいた。
「何をしやがる、極楽鳥」
「あら……泣いてるのかと思ったのに。悪いところに出くわしたかーって驚いて損しちゃったわ」
「驚いたのはこっちだぜ。だいたい、泣いてるところを見たと思ったんなら、普通はそっとしていかないか」
「あー、あんたなら確かに慰めてあげようなんて親切思いつかないよね。それにまあ、悪いところを見ちゃったのは事実みたいだしー?」
言いながらオリヴィエの両手はするりとオスカーの背後に回った。押し当てられた掌がベルトをたどって右腰を掴む。聖地の中で帯銃?
「後ろ暗いことがあるから放っておかれたいなんて思うんじゃない」
「やれやれ、ばれちまったか」
オスカーは大げさに溜息をついて回れ右した。
「どしたの」
別に止めも言いつけもしないわよ、と同僚の声が背中を打った。
「興が削がれた。私室で飲んで館に帰る」
借りを作ってたまるか、とオスカーは強がるような口調になった。
「あんたさぁ……」
後を追いながらオリヴィエの声は笑いを含んでいた。
「なんだ」
「酒飲みに聖殿に戻るってのもアレだよね」
「文句を言うなら飲ませんぞ」
「あら、奢ってくれんの」
オスカーは振り返ってにやりと唇を吊り上げた。
「口止め料だ」
ホルスターを探して腰を這い回る手にぞくりとした。それが、骨ばった男の手であるというだけで飢えが騒いだ。冗談じゃない、俺は、全宇宙の女性の恋人、強さを与える炎の守護聖様だぞ。
オスカーは再び前を向く前に、一瞬だけ、木々の奥の不可視のドアに視線を向けた。
(……ヴィクトール)
太陽と月にかけて、家伝の剣にかけて、女王陛下の御名にかけて。絶対に、何がなんでも、お前のことなど忘れてやる!