十年一剣を磨く

 星の小径の前、立ち寄りたいところがあると言ってオスカーがたたらを踏んだ。
 一瞬ぽかんと口を開けたあと、ゼフェルは烈しく指弾した。
「おめー、この非常時に女かよ」
「俺、オスカー様のことみそこないました!」
 オスカーは慌てて少年たちを怒鳴りつけた。
「こら、勝手に決め付けるな! みそこなうなっ」
 彼に突きつけられた指を横から折り曲げながら、地の守護聖が諭す。
「あー、人を指差すのは失礼ですよー?」
「ルヴァもそうじゃないだろう…」
 オスカーはがっくりと肩を落とした。
「しかし、どうして又そんな事を」
と、ヴィクトールが問えば、
「捕まったときに剣を取り上げられたままなんだ。俺にとっては大切なものでな。城にはないようだったし、あの坑道へ探しに行きたいんだが」
 苦い顔のままオスカーは腰間の剣に触れた。実戦に用いて不足はないが、しかし彼にとっては代用に過ぎない一振りが膝裏を擦る。
 アンジェリークは大きくうなずいた。
「わかりました。それじゃ、暗き鉱脈の惑星に行きましょう!」
「いや」
と、オスカーは首を横に振った。
「今は一刻も早く陛下のお心を安んじ申し上げるべきだろう。すぐ後を追うから、先に行ってくれ」
「でも……」
 いいのかしら、とアンジェリークが周囲の目顔を探る。
 いいわけがない。
 魔導の影響は失せつつあるとはいえ、本来あらゆるリスクから遠ざけられなければならない守護聖様だ。
 腕に覚えのオスカーは、実際に通用してしまったものだからけろりとしてるが。
「単独行動は避けるべきだと思います。俺が同行致しましょうか」
 ヴィクトールの申し出に、オスカーは考え込みながら答えた。
「ああ、そうだな…そうしてくれると心強い」
「ならば、聖地でそなたたちを待つことにしよう。よいか、アンジェリーク?」
 少女は首が痛くなりそうな角度ですぐ側のジュリアスを見上げた。
「あ、はい。では、どうぞお気をつけて」
と、2人に手を振って星の小径を開いた。
 光があふれ、やがて薄れていく。手庇をしたままオスカーが呟く。
「実を言うと、お前なら手助けを申し出てくれるだろうと思っていた」
「オスカー様?」
「2人きりだな」
 にやりと笑ってヴィクトールを振り返った。
「そうですね」
「だから何だって顔して言うなよ」
「そんなつもりはありません」
 石造りの台に上りながらじゃれあう。
 悪戯っぽく目を輝かせるオスカーはどこか少年のようで逆らいがたい魅力がある。
 親密になればなるほどオスカーは気取らない表情を見せるようになった。歳相応の感情を備えた人間を、後戻りできないところまで愛しているのをヴィクトールは自覚していた。もはやこれは、行き過ぎた崇拝でも敬愛でもない。
 このまま攫って逃げたら、とふと考える。護衛なし監視なし、剣はともかく素手や銃ならまず勝てる。不可能なことではない。が、きっと翌朝には平謝りする自分がいるだろう。
「始めるぞ」
 一声かけて、オスカーが星と星を結ぶルートを開く。
 ヴィクトールは顎を引き、姿勢を正した。
 耳元で蜂がうなるような独特の感覚は最初は奇異だったがもう慣れた。
 習熟したからといって、この先の人生に活かせそうもないが。

 彼らは目的の惑星に着くと坑道に直行した。
 暗く湿った坑道を行きつ戻りつしながら、オスカーが口を開いた。
「あの剣は俺の生家に代々伝わるものでな。聖地に召されるとき、父に貰ったんだ」
 声は壁にぶつかっては跳ね返り、ひどくよく響いた。
「本当はそれは、弟が譲り受けるべきだと分っちゃいたんだ。俺は長男だったが当主にはならないと。なのに気付かない振りを通した」
 込められた自嘲も隠しようもなく響く。
「心の拠り所でも欲しかったんだろうな」
 溜息ついて虚空を見上げる、嫌味なほど整った横顔をヴィクトールはうかがう。
「いつか聖地を下りるときが来たら、弟の子孫に返しに行こうと思ってるんだ」
「それで、あんなにも大切にしてらっしゃったんですね」
 滅多に使うことはないと本人も言い、ヴィクトールにとっては女王試験の間中、一度として抜かれるのを見たことがない剣だった。どうしてあんなに重たいものを肌身離さず持ち歩くのかと、不思議に思ってはいた。
「もっともその頃、家がまだあるとは限らないが」
 時が全てを押し流していく。
 オスカーは弟にとも、弟の息子にとも言わなかったとヴィクトールは気付いた。
「父はお前の家族はないものと思えと……俺のことも亡くしたものと思うと」
 言葉をかけあぐねていると、肩の後ろに頭の重みがぶつかってきた。
「お前も俺のことは、死んだと思って忘れていいぜ」
 ヴィクトールは咽喉元に込み上げて来たくすぐったさをこらえた。
 それだけ近しく思って下さっているのだと思えば嬉しいが、家族と同列に語られるというのは何か違うんじゃないか?
 だいたい、この男がなければ一体誰が星々を守り、世界に強さを与えるというのだ。
「……派遣軍にいると、貴方のお噂はまま耳にするんですがね」
 ほとんど常にオスカーの要求にこたえてきたヴィクトールには、直裁に否とは言えなかった。
「はは、そうか」
 馬鹿なことを言ったかなと照れながらオスカーが顔を上げた。
「貴方がそこにいらっしゃると思うだけで、俺は充分幸せです。貴方がたとえ俺を忘れても」
 もっと照れながらヴィクトールは言葉を継いだ。オスカーは後方から首に抱きつき、肩に顎を乗せた。
「そうか?」
 釈然としない、と薄蒼の目は言っていた。

「ああ、こっちみたいだな」
 牢近くの詰め所を探したあと、彼等は武器庫へ向った。
 部屋自体はさほど広くないが、木箱に詰められた武器類が天井近くまで壁を覆っていた。
 その山を切り崩し、床に座り込んでひとつずつ検分していく。
 気が遠くなるほどの量と単調な作業だ。
 ひとつの箱を終わらせたオスカーが、うーんと伸びをして次を取りに立つ。戻ってきた青年の疲れた顔を見上げ、ヴィクトールは苦笑した。
「ちょっと後悔してやしませんか」
「何が」
 オスカーは憮然として聞き返しながら隣に腰を下ろした。
「俺よりメルかクラヴィス様に来てもらった方が助かったでしょう」
「そう言うなよ」
 オスカーはぽすんとその肩にもたれかかった。
「俺はお前とこうして寄り添っていられるなら、あの大切な剣が、このままもうしばらく見つからなければいいと思ってるんだぜ」
 艶やかに笑いかけられてヴィクトールは赤くなった。
「最後まで慣れなかったな」
「はあ」
 戻れば節度ある友人として振舞わなければならない。
 離れたら二度と会える保証もない。
 別れは、目前だった。
 ヴィクトールはゆっくりと体勢をずらし、すぐ側にある容よい唇を吸った。
「んっ」
 歯列を割ったのがどちらか分らなかった。体の向きを変え応えてくる青年の腰を抱き寄せた。
 恋人の指は下腹部にのび、彼の欲望を煽ろうとしている。ヴィクトールはキスをとめた。
「ここじゃ拙いでしょう」
 甘い吐息が耳元に吹き込まれる。
「かまうもんか」
「背中を痛めますよ」
 悪戯をやめようとしない手の二の腕を押さえて、ヴィクトールは宥める。
「俺は貴方に痛い思いをさせるのは嫌だし、ここで騎上位もご遠慮申し上げます」
 オスカーはしぶしぶ身を離した。不穏な沈黙の後、ヴィクトールの上腕を掴んで立ち上がった。
「じゃあ立ってヤろう」
 ヴィクトールは頭を抱え込んだ。
「オスカー様、俺はですね……」
 のろのろと顔をあげ、彼の輝かしい軍神を見た。
「…俺は貴方がいなくなったあとの人生が、どれだけ味気ないものになるか今から心配ですよ。貴方が刺激的過ぎましたから」
 彼は立ち上がり、もう一度唇を求めた。
 その接吻さえが花火のようだ。


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