雪垂

 酒に酔った頭ををさまそうとテラスに出るオスカーの背を、再会を祝う宴の喧騒が追った。
「いい加減にして下さい、ロキシー!」
 エルンストがあんなに声を大きくするのは初めて聞く。
 ずけずけと物を言うのも、手放しで笑うのも。
「これはまた珍しい」
 後手で硝子戸を閉めながら、オスカーはくつくつと笑い出した。
 ロキシーを探したいと彼が旅の途中で言い出したとき、どうして誰も驚かなかったのだろう。今になって考えると不思議だ。心配する気持ちはもっともだと皆が彼の希望をうべなった。しかし、あれほど愛で焦がれている宇宙よりも一人の友人が大切だと、彼はその時真情を吐露したも同然だった。
「あいつらはお互い、いい友人を持ちましたね」
 コメントを投げられて正面を向くと、雪景色を背景にして手すりへ腰掛けたヴィクトールがいた。
「面白いよな、あれでエルンストの方がだいぶ歳下なんだってさ」
 オスカーは近くに並んで腰を下ろした。
「友情に年齢は関係ないでしょう」
 ヴィクトールが笑って顔を横に回らせた。
「おこがましいかもしれませんが、俺は、貴方に対してもそのように思っていたんですがね」
 ヴィクトールが照れ臭そうに首の後ろをかくのを、オスカーは目を丸くして見た。体を曲げて笑った。少し失礼なくらいの大笑いだ。そのまま勢いをつけて立ち上がった。かすかな眩暈を覚えた。血の中をめぐる酒気と熱をはっきりと感じ取れた。今なら口が滑らかにまわるということが分かった。
「そうか、そうだよな。友情に年齢は関係ないし、愛に性別は関係ないよな」
 ヴィクトールはゆっくりと目を細めた。ゆっくりと苦笑がにじみ出た。
「これはまた、普段の信条を破るようなことを言われますね」
「そうさ、ヴィクトール」
 オスカーは笑いやんでいた。斜め横から男を見下ろした。
「俺に信条を変えさせるなんて、たいしたもんだぜ」
 ヴィクトールは天を仰いだ。
「冗談はそのくらいにしておいてくださいよ。俺には、若気の至りなんて言い訳はないんですから」
 右手で目元を覆った。唇は笑みの容を残していたがぎこちなかった。
「言い訳が必要なら、酒の勢いでいいじゃないか」
 オスカーは短い間けらけらと笑い、静寂と沈黙に気付いて唇を引き結んだ。貴方をそんな目で見ることは出来ない、と宣告されるのを待った。ヴィクトールは無言のまま顔を隠している。
「ああもう!」
 オスカーはじれて声を上げた。思わず襟元を掴んでいた。
「言い訳なら俺の無理強いでいいさ」
「いい訳ないでしょう」
 力ずくで振り返らされ、ヴィクトールはようやく、ため息混じりに答えた。
「いいんだ」
 世界を担う使命は使命だ。しかし過ぎ去ってゆく時の虚しさを埋めるのには、愛の情熱しか知らない。そんな日々が長すぎた。もはや慣性に逆らうことが出来ない。オスカーは眼光漲らせ、鼻先触れ合うほどに顔を寄せて囁いた。
「いいと言ってくれ」
 それが単なる親愛の情でも、落ちてくれればこっちのものだ。
「いいわけが、ないじゃないですか」
 ヴィクトールはオスカーの両肩に手をかけた。
「ヴィクトール?」
「情けないことを言わないで下さい」
 オスカーは肩におかれた手の重みを意識した。シャツにセーター、手袋を通して体温は感じ取れない。
「あなたを、大切に思っています」
 だが背や背を叩く以上のスキンシップを取る気はない、と、そういうことだと思った。
 ――酔っ払って馬鹿なことを言っちまった、な…。
 だけどそりゃ、俺は時々冗談の度が過ぎる。それだけのことだ。
 彼はここ暫く仕舞い込んでいる楽観主義をごそごそと引っ張り出した。この間の夜も大丈夫だったし、築いてきた信頼関係がこれで崩れるということはないはずだ。大切な友人だと思っていますと、きっぱり言ってくれればそれでまた明日から俺は――。
 唇に柔らかいものが触れた。
 一瞬で溶ける雪のようなキス。
「ヴィクトール?」
 オスカーは目を寄せて相手を凝視した。
「貴方は俺にとって何物にもかえがたい、大切な人です」
「……愛してる」
 まるで愛してるって言えよ、と言っているみたいだと思った。
「俺も貴方を愛していますよ」
 柔らかく微笑んでいるその唇を、オスカーは今度は自分から奪った。

 2人は雪に足音を潜めて喧騒から離れ、隅の寝室を選んで入った。戸を閉め、きっちりと施錠してカーテンを引き、ランプをともす。
 くせなのか指差し確認までしているヴィクトールに、オスカーは忍び笑いを洩らした。
「何ですか」
 不服そうに振り返る男に首を振る。
「別に」
 かじかんだ手を伸ばし、首の後ろを捉えて三度目のキス。
 きつく抱き返されて兆している欲望がこすれあう。
 息が上がりそうなほど興奮した。
 オスカーは深い口付けの途中で指を解き、相手の咽喉元をくつろげた。うっとりと目を閉じ舌を絡めながら、ボタンを上から順には外していく。
 ヴィクトールの手がおずおずと彼の着衣に触れ、内側に滑り込み、やがてそれを剥ぎ取った。
 もともと鍛錬は怠りない彼等だが、ここしばらくの戦闘続きで体躯はなお引き締まり磨き上げられていた。
 賞賛と少しの品定めがないまぜになった視線を与え合う一瞬。
 ヴィクトールは自身の中指の先を噛み、手袋を外した。
 オスカーの肌に手を滑らせ、厚く張った胸を撫で、腰に掌を押し当て、そのままベッドに押し倒した。性感帯を探して這い回る指はまだ冷えていて、それがオスカーを余計過敏にした。
「は……、専守防衛はどうした、王立派遣軍」
「あなたこそ」
 ヴィクトールは笑って胸先を舐った。
「…んっ」
「こんなに感じやすくて夜の帝王がつとまるんですか?」
 オスカーはさっと紅潮した。
「誰がお前に、そんなつまらんことを吹き込んだ」
「噂ですよ」
 睨み上げる目元に指をあててヴィクトールは言った。
「ただのつまらん噂でしょう?」
 そういう事にしておかないとここで置き去りにされそうな気がして、オスカーは深くは考えずに頷いた。
 わざと音立てて相手のベルトを抜き、ズボンの上から膨らみを包み込んだ。
 服の上からやんわりと刺激を与え、白く古傷の走る胸に頭をすりよせた。
 ヴィクトールはおもむろにオスカーの中心を握り返した。ズボンの合わせ目を外しながら耳たぶを舌でなぞる。
「……オスカー様」
 オスカーはとっさに声を殺した。
 恋心と忍耐がいかに快楽を煽るか、彼はもう長いあいだ忘れていた。

 窓の外、降り積もった雪が自重に耐えかねて枝から落ちていった。


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