「降るなぁ」
窓にもたれてオスカーが言ったとき、ヴィクトールは顔を上げずに答えた。
「――そうですね」
降りかかる雪で濡れてしまったと上着を炉辺へ干したオスカーは、インナーも半ばは解いて、無防備な格好をしていた。
目のやりばに、困る。男だ。同性だ。もちろん。しかし、生き神であらせられるので、とか、なんとなく内心で言い訳をする。
オスカーの姿形を美しいと思う。矜持に鍛え上げられた精神を素晴らしいと思う。余裕にみちた笑みをセクシーだと思う。それはたぶん、女王試験の頃から思っていたことだった。
しかし退役さえ考えていた鬱屈の底にあって、それはどこか膜がかかったような感覚だった。単に客観的な評価のつもりだった。それが己の欲望と直結しているなどとは、夢にも思わなかった。
……彼はセクシーだ。
「ガキどもの元気なこと!」
声たてて笑ったときにも、剣の手入れに余念がないふりを通した。雪合戦でもやっているのだろう。別に珍しいことじゃない。珍しいのは、普段は自意識過剰なくらいの言動を取るくせに、ご自慢の色気を振りまいて気付くそぶりも見せない男だ。
「しかし随分積もったもんだな」
「ええ」
ヴィクトールは生返事を返した。
ふぅん、とオスカーが首をめぐらせる気配。
「こう冷えるんじゃ酒でも欲しいな。買いに行く間、上着を借りるぜ」
顔を上げるべきだった、この時こそは。
「ああ、どうぞ」
答えたときにはすでに部屋にオスカーの姿はなかった。足音が階段を下りてゆく。
上着って? 軍服だ。
「オスカー様ッ!」
ヴィクトールは部屋を飛び出した。
オスカーは階下でセイランにつかまっていた。
「どうしたんですか、その格好」
「どうだ、似合うか?」
なぜか得意げに胸を張るのをためすがめつして、セイランは肩をすくめた。
「貴方が着ると、結構地味なんだということがよく分かりますよ」
「それは似合わないって言ってんのか?」
どうなんだ、と当然のように追っ手を顧みる。
「いえ、その」
着こなせてはいないがそれがまた新鮮味を増して、かわいげはあった。
ヴィクトールは咳払いした。
「似合う似合わない以前に、貸借は軍規違反ですから。ご勘弁下さい」
ちっ、とオスカーは舌打ちした。後から両肩に手をかけると、世話をされなれた仕種で袖を抜いた。それからくるりと振り返って、軍装に指を突きつける。
「俺だって本当なら、こういうの着てたんだぜ。どうせ信じないだろうけど」
「士官学校に行っていたというのは、伺ったことがありますよ」
それでも22なら、よくて中尉だろうとは思うが。知らないと信じないとの差異を、ヴィクトールは故意に無視した。
ああそうだったか、とオスカーは気のない返事を返した。思い出話は夜の徒然、酒の肴にいくつも交わした。わざと言っている。
「リュミエールなんかひどいんだ。前に俺だって30代で閣下と呼ばれる軍人になったさと言ったら」
オスカーは言葉を切って、ちらとヴィクトールを見た。それは人生設計としては非現実的だし、実現したとしても喜ばしいことばかりでは決してないのだ。
「貴方の場合、新兵のうちに無断外泊して営倉送りの常連って可能性の方が高いんじゃありませんか、だぜ?」
セイランが声を上げて笑い出した。
「僕、リュミエール様のそういうとこ好きだなぁ」
「本人に言ってやれ」
「やですよ」
オスカーは少し考えるように腕を組んで天井を睨んだ。
「ま、その方向に目覚められても困るか」
「でしょう?」
「……主に俺が」
「そうそう」
分かってるじゃないですか、とひとしきり遊んでからセイランは思い出したように、
「ああそうだ。出発は明後日に延びたから」
「交通が止まったか」
「まあそんなとこ」
ひらりと片手を振って踵を返す。
ヴィクトールは取り戻した上着を羽織ながらオスカーを振り返った。かすかに残った体温がくすぐったい。
「ところで、リュミエール様が営倉送りなんて言葉を使うんですか?」
「大意要約!」
オスカーがぎろりと睨みつけてくる。
「どうせお前はあいつの味方だよな」
「え、いや……何で怒ってるんですか?」
「お前が鈍いからだ」
「オスカー様」
ヴィクトールは青年のシャツを襟許でつまみあげた。体に触れないように慎重に前をあわせていく。冬生れのわりに寒がりなオスカーが、肌蹴たままで雪降る屋外へ行くはずもない。すこし脅かそうとしただけで、出てゆくつもりはなかったのだとそれで知れた。
「酒、買ってきますよ。何がいいんです?」
「別に買いに行ってほしいわけじゃない」
見透かすようなことを言うなと、オスカーは険のある言い方をした。
「いいじゃないですか。今夜は雪見酒と行きましょう」
ヴィクトールは気付かぬふりで誘った。
「……お前となら何でも旨いさ」
うなずく蜜の滴るような笑顔に、つい惑わされそうになる。
しかし軍規は、己に守護聖様に対する尊崇をも植えつけたのではなかったか?
かわいいとかおもしろいとか思うだなんて、重罰に値する不敬だ。