火のように

 ホテルのロビーでソファに深く腰掛け、オスカーは窓から降り注ぐ陽光のぬくみを味わっていた。
「眠たそうですね」
と、その頭に声が降った。顔を上げると、ヴィクトールが向かいに腰を下ろして小さく笑った。
「お疲れですか」
「いや……」
 まぶたの重さに抗うでもなく、オスカーはぼんやりと微笑み返した。
「けっ、どうせ夜遊びだろ」
 通りすがりに背後から詰られ、弾かれたように身を起こす。
「馬鹿言うな!」
 振り返るとゼフェルが数歩先で立ち止まり、
「どーだかな」
 わざとらしい腕組、鼻先で笑った。
 オスカーはむっつりと不機嫌な顔になった。
「夜遊びしてたのは俺じゃない、あいつだ」
と、顎で窓の外を示す。ホテルの前庭、アリオスとアンジェリークが並んで歩いている。
「……ああ」
 ゼフェルはオスカーの不機嫌がうつったようなしかめっつらになった。当然だ。夜遊びをするような身で、自分たちの大事な少女に近づこうなんて。
「よし、邪魔してきてやらあ」
 勢いよく身を翻してゆく。
「任せたぜ」
 オスカーはひらひらと片手を振った。
 律儀に少年の背を見送っていたヴィクトールが姿勢を戻す。再び睡魔に襲われながら、オスカーは額で視線を感じた。
「そういえば昨夜は同室でしたね。寝ずの番でもしていたんですか」
「まあな」
 口からでまかせじゃないでしょうね、とからかうような声に、オスカーは真顔で答えた。ヴィクトールが腰を浮かす。
「本気ですか? いくらなんでも行きすぎですよ」
「お前に付き合えとは言わんさ」
 オスカーは詰まらなそうに言った。
「それで手元が狂ったり、体調を崩したりしたら困るでしょう」
 本末転倒、自覚に欠ける、などと言わないだけ、ヴィクトールはこれでも随分オスカーに甘くなっている。
「アリオスは悪いやつじゃないと思いますよ。寝ずの番よりは、一晩語り明かして理解を深める方がまだ建設的です」
 オスカーはようやく重たいまぶたを押し上げた。
「そりゃアイツとより、お前と願いたいぜ」
 にやりと笑って、すべてを冗談にしてしまう。
「オスカー様!」
 ヴィクトールの声は叱責の響きを帯びた。オスカーは片手で目元を覆った。
「信用できないのは多分、あいつの人品のせいだけじゃない」
 知らない誰かにお前が心ゆるしていた。俺が苦心して得た信頼を笑顔を、何だってそんなに大安売りしてるんだと思った。
 妬いている。
 しかし、私情を隔離したあとでも、警戒する理由は充分にあった。
「完璧だと思っていた聖地の防備がこうも容易く崩された後で、何を信じろというんだ」
 指の隙間から相手の様子をうかがう。力いっぱい深刻な顔。
「そうだな……今の俺には、仲間以外の成人男子は全部敵だぜ」
 やりすぎたかとあわてて冗談めかすと、ヴィクトールは苦笑した。
「それは以前からのように思えますがね」
 男の敵、と目されても仕方がないような行状のオスカーだ。
「こっちから敵視したことはなかったんだがな」
 オスカーは肩をいからせて憤慨した。
「そりゃ単に相手にしてなかったんじゃ……」
「なんだ? そういや、お前もいっとき俺に敵愾心を持ってただろう?」
「まあ、確かに最初は俺が誤解していましたが」
 敵愾心は言いすぎです、と控えめな反駁。
「俺がどれだけ傷ついたか、いつかお前に知ってもらいたいぜ」
 オスカーは口の端を上げて笑った。ヴィクトールは情けなく眉をさげた。
「だから申し訳なかったと思ってますって」
「真剣みに欠けるな」
 どれだけ傷ついたか、言える訳もないと分かっていて拗ねた。
 件のアリオスに馬鹿にされても、腹は立つが、それはもう親の敵のように立つが、傷ついたりなどしないのだ。
 問題の男はいましも玄関を潜り、屋内へ入ってくるところだった。オスカーはあからさまに顔を背けた。
「よぉ、ヴィクトール」
「噂をすれば影だな」
 まるで偶然会ったかのようにヴィクトールが声をかける。ゼフェルに少女を奪われたんだと察しがついているんだかいないんだか、その態度からはうかがわせない。
「何だそりゃ」
 アリオスは肩をたわめ、咽喉にこもる音で笑った。
「どうした色男、シケた面して」
 オスカーはようやく顔を上げた。見下ろしてくる瞳にからかうような光が躍っている。
「シケた面だって? 失礼な」
 唇を横一線に引き結んだ。
「俺の心は火のように燃えているぜ」
 しかしそれはこの危機のため、この疑念と嫉妬のためなのだ。胸元に手を当てる。この先、愛の囁きなくいくつの夜を渡って行かねばならないのか。
「それが、恋のためでないのが悲しい」
 また始まった、という顔をして男たちが顔を見合わせた。


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