その1
夜更けにやってきた青年に、ホットチョコレートを出してみた。よほど怒るかとも思ったが、
「お前でなければ、なんの嫌がらせかと思うところだ」
客は唇についたクリームを舐めとりながら、ちらりと壁時計を見た。0時をいくらか過ぎたところ。非常識な時間に乗り込んできておいて、いい態度だ。
オスカーはソファに深々と身を任せ、まだトレーを手に立っているヴィクトールを見上げた。
「俺はまだ何も言ってませんよ」
ヴィクトールはため息をついた。
飲み終わったらハッピーバレンタインを言うつもりだったのに、気の短い。
「……それがお前の悪いところだな」
青年は皮肉っぽく片頬を引きつらせて答えた。
「言葉や愛を出し惜しみするのが」
笑みになり損ねていた歪みが、薄い唇の上できれいに笑みに変わった。
「あまり俺を飢えさせるとろくなことがないぞ?」
「ご冗談を。俺はとうに……身も心も貴方のものです」
ヴィクトールはほとんど苦笑の態で言った。誰かの心に適いたいと強く願うとき――これほど強く願うとき、自分の意思や主体性はもはや残ってはいないのではないかとさえ思える。
「口先だけなら何とでも言えるさ」
オスカーは拗ねた仕草で顔を背けた。
「何でそんな喧嘩腰なんですか。嫌がらせだの、何だの」
ヴィクトールは腰に手を当て、少し叱り付けるような口調になった。
「……甘ったるい」
青年は半ばの残ったカップをテーブルに戻した。
「そんなに合いませんでしたか?」
「ん」
オスカーは自分で味を確かめてみろとでも言うように顔をあげ、目蓋を伏せた。挑発的なアイスブルーの光が緋色の御簾の向こうに隠れた。
ヴィクトールはその完璧なラインを描く頬に手を沿え、唇を重ねた。
ついばむようなキスを徐々に深くしながら、気付く。
ああ、しかしこれじゃ意味がない。貴方のくちづけはいつだって甘いのだ。
その2
「こんなことだろうと思ってはいたんですがね」
開け放たれたままのドアを、それでも一応ふたつばかり打ち、ヴィクトールは部屋の中を見た。
テーブルの上には、山と積まれた色とりどりの贈り物。
恋人がもてるのは自慢すべきことだと、本気で信じる気にはなれない。なにしろこと色恋に関する限り、流されやすいオスカーだ。
今日行けばこういう面白くない目にあうのではないかと思ってはいたが、呼ばれたからには正当な理由なく断るわけにもいかない。
「この俺に、女性の好意を無碍にすることなどできるはずがないだろう?」
机についていた館の主人が、振り返りながら流し目で笑いかけた。立ち上がり、歩み寄ってくる均整の取れた姿をヴィクトールは眺める。
「数え切れないほどのチョコレートを有難く頂いたさ。だが贈る相手は、お前だけだ」
それでは駄目かと、手を差し出した。
握手のつもりで伸ばした手の甲にうやうやしく接吻されて以来、彼は意識して手首を返すようにしていた。微かに逸らされたたなごころが、ランプの灯りを柔らかく受け止めている。
ヴィクトールはふらりと絆されそうになったところで、相手のマメな性質を思い出した。
「……日ごろお世話になっている方々に、花束なんかは贈っていそうですけどね」
2つ3つ、脳裏に浮かぶ顔もある。
「駄目なのか?」
「贈ってるんでしょう、と言っただけですよ」
ヴィクトールは努めて軽い声音で受けかえした。
「なんだ、妬いてくれないのか」
相手は、つまらない、とため息でもつきそうな表情になった。
プレゼントの山は、わざと目に付くようにしてあったのだとそこで気付いた。あくまで微笑を絶やさずに首を傾ける。
「今さらでしょう」
「俺は妬けるな」
オスカーは両腕をするりと男の首周りに巻きつけた。
「あんたの部屋で待ってるかわいらしいプレゼントボックスが目に浮かぶようだぜ」
「そんなものありやしませんよ」
「あんたの部屋で待ってる、そいつらのところへ、帰らせたくないな」
至近でアイスブルーの瞳が、からかうような笑みを滲ませている。
「はは、そんなこと」
ヴィクトールはさりげなく視線を逸らした。
「帰るなと一声、お命じ頂ければ」
オスカーが言葉を飲んだ。引き止める言葉をではなく、悪罵をだと分かっていた。
もしも実際に命令だといわれたならば、それがどんなに心に添わないことであったとしても、逆らう術などない。絶対的な力を自覚しているからこそ、権に着ることをオスカーは嫌った。
だが、妬心あらわに執着せよというならば。
俺のほうでも貴方に、なりふりかまわず求めてもらいたい。
「臆病者め」
オスカーが首筋を甘噛みしながら詰る。
「なんとでも」
燃え立つように紅い髪に指を潜らせながら、ヴィクトールはいぶかしむ。
俺にはすでに分からないことが、この方になら分かっているのだろうか。
これはまだゲームのためのゲームなのか。
愛のゲームなのか。