コレットとレイチェル

コレ陛下→補佐官

「あーっ、こんなトコにいたんだ!」
 突然扉が開き、アンジェリークはびくりと背中を震わせた。
「ナニやってんの?」
 悲鳴めいて引き連れた呼吸の音を殺し損ねた。
 レイチェルが溜息とともに大きく肩をすくめた。
「ワタシ、お邪魔だったみたいね」
「ちがうの!」
 アンジェリークは慌てて声をあげ、今しも背を向けようとしている少女の袖を引いた。
 人見知りで小心者で、でもこんな風に怯えることなんて考えもしなかった。人目を避けるような後ろ暗いことなど、何一つせずに生きていけるつもりでいた。
 あなたを傷つけたくなくて、私は臆病になった。
「私だけアルフォンシアに会ってるのが、いけないことのように思えたの。あなたが寂しい気持ちになるんじゃないかって。それで、隠れてこそこそしちゃった私が悪いの」
 傍らに立つ宇宙の意思は、補佐官にも感知できるはずはないのだけれど。聡い彼女はきっと気付く。この星の間に私が何するでもなくいるのなら、宇宙の意思との逢引だと。
 ごめんなさいと俯いた頬を、栗色の髪が滑り落ちていった。
「もう! アナタはそんなことしなくて良かったのに」
 軽く笑い飛ばしそうな勢いで言った後で、レイチェルはぴんと五指を開いたままの手を口元に当てた。
「あ、そっか、あの子の声が聞こえるのはワタシだけだから、言わなきゃ分かんないのか……」
 アンジェリークは顔をあげ、明るいアメジストの瞳がふわりと細められるのを見た。
「あの子の声は今でも、背景輻射の中に聞こえるよ。ルーティスはどこかにいる。それはアルフォンシアの中に吸収されているのかもしれないし、素粒子の中に偏在するのかもしれない。どこかにいることが分かっていれば十分だよ」
 レイチェルは自分の袖をつかんだままの白く細い指をゆっくりと振りほどき、両手で包んだ。
「私たちはそうやって、家族も友達も置いて来たんじゃなかった?」
 アンジェリークは年下の親友の手をぎゅっと握り返した。
「うん。……うん、あなたは強いのね」
 細く吐息をついた。
 膨張する宇宙では、赤方偏移によって背景輻射は温度を下げていく。
 私たちの世界が、平坦な宇宙だったらいいのに、と大きな意思に向かって思う。女王という存在は、それさえも祈れば叶うものなのかしら。
 私は、レイチェルを傷つけることを、何一つしたくないわ。

(2009.08.10)

女王試験(SP2)

 研究院の前で、ライバルに出会った。
「アンジェ! ワタシ分かったよ。自分に何が足りなかったのか」
 レイチェルは片手を振りながら声を上げ、飛び跳ねるように階段を下りてきた。このところうまくいかずに苛々していた友人の晴れやかな笑顔に、思わず嬉しくなってアンジェリークも笑い返す。
「ワタシはずっと宇宙がどうなってるのか、知るのが楽しくてたまらなかった。でもアナタはそれだけじゃないんだね。知ることそれ自体は、目的ではないんだね」
「え、ええ?」
 まくし立てるように言われて、いまひとつ飲み込めないままうなずく。レイチェルはそれで確信を深めたとばかりに瞳を輝かせ、
「私、アナタのことが知りたい。アナタが何を好きなのか知りたい。それってアナタを喜ばせたいからだよ。そう気付いたときに、これも同じ事だって分かったんだ。宇宙の意思を、実験動物みたいに見てるんじゃ試験はうまくいかない。観察の中で得た知識はフィードバックして、相手からさらにフィードバックを得なくちゃ先に進めない。そういうことでしょ?」
「そう、だと思うわ。誰かと分かり合う、絆を作り上げていくって素敵なことよね?」
「うん、ワタシにも分かったわ。もう完璧に理解した。だからワタシが勝って、アナタは女王補佐官だね!」
 バイバイまた後でとレイチェルは弾むような足取りで通り過ぎていった。
「……え?」
 スタイルの良いその後ろ姿が小さくなってから、アンジェリークはちょっといろいろ聞き捨てならないことを言われた気がした。

(2009.04.08)

エトワール

「大人っぽいもの飲んでるのね。それはカフェ・ロワイヤル?」
 デスクでコーヒーカップを傾けている補佐官を、覗き込むようにしてアンジェリークが声をかける。
「カフェ・コレット」
 面を向けた補佐官の呼気からもかすかに、コーヒーのにおいがした。 
「エスプレッソにお酒とクリームを入れるんだよ」
 カップをソーサーに戻して、レイチェルは続ける。
「あのね、いつか誰も貴女の名前を呼ばなくなっても、ワタシは覚えてるよ」
 守護聖が揃って制度が整っていけば、宮殿はもうおままごとの舞台ではなくなる。女王はだんだんと名前で呼ばれることがなくなっていく。
「本当はアナタの名前を、毎日百万回でも呼びたいと思ってる。自分がこんな非科学的なことを言っちゃうなんて驚きだわ」
 大きな身振りでいきり立つレイチェルと対照的に若い女王の反応はにぶい。
「科学がどう関係するのかしら」
と、アンジェリークは首をかしげた。
「もう、そんなことも分からないなんて! 一日は八万六千四百秒しかないんだよ」
 相変わらずお馬鹿さんねと抱きしめてくるレイチェルの温もりに、若い女王はしばらくおぼれた。宇宙がどんなに凍てついていても、私は大丈夫。

(2009.01.13)


inserted by FC2 system