Distant planet

 その気になりさえすれば相手がどこで何をしているか分かってしまうことが、いいんだか悪いんだか今でも分からない。手の届かない場所でその人があがいているのを、俺は知っている。
 山と積まれた報告書のひとつで恋人の負傷を知ったオスカーは、もっともらしい外遊計画をたて、自分で承認し、当面の仕事を片付けて聖地を飛び出した。
 会議に臨席して、閲兵して、新造戦艦に試乗して、ドックと補給基地を視察をして、高官との会食。ただの言い訳のはずの公務でなんだってこんなに忙しい目に合っているのかまったく理解できないが、とりあえず最後の夜は死守した。
 自宅療養中の官舎へ向かうと、目的の男は言葉を失い目を見開いて彼を迎えた。
 右手右足を包帯に包まれている――が、少なくとも顔色は悪くないし痩せた風でもない。
「思ったより元気そうで、安心したぜ」
 オスカーはほっと息をついて笑いかけた。
 が、もっと悪いときには自分は間に合わなかっただけだと分かってもいた。
 つらいときに側にはいられなかったと。
 玄関先だということも忘れ、両手を伸ばして抱きすくめる。
「……オスカー様も、お変わりなく」
 驚愕から回復しつつある男が腕の中で挨拶を返した。
「ああ」
 オスカーは生返事を返しながら、耳の後ろの縫合の跡は以前はなかったよな、と自分の海馬に問い合わせた。なかった。
「あまり……俺の知らない傷を増やすなよ」
 彼は苦笑いしつつ身を離した。
「ああ、すまん。あんたは早く座った方がいいよな」
 ヴィクトールは期せざる賓客を書斎に通した。 
「あの、コーヒーでも?」
「いらない」
 オスカーは言下に謝絶した。
 杖を片手に立ち上がろうとしている男を椅子に引き戻してまじまじと見下ろす。
 まだ、変わってはいない。
 白髪が増えてはいないし、それと気付くほどに容貌が変わってはいない。
 ラフな私服だということもあって印象は若い。
 いつものようにセットされてはいない前髪を人さし指でからめとり、唇で唇に触れる。応えてくるタイミングと温度も変わらない。
 舌を甘噛みされながら、久しぶりすぎて順番を間違えたな、とオスカーは思う。口付けの間、目を閉じていて欲しかったら先に瞼にキスをするのだった。妙な癖がついたものだと思っていた手順を、もう忘れている。
 鳶色の瞳がまともに自分を見ているのを感じながら、オスカーは瞼を下ろした。長いキスは否応なく彼の情熱を煽った。彼は唇が離れるなりその場に座り込んだ。
 膝立ちになって男のジーパンに手をかけ、それを取り出す。
「え、ちょっと――何をするんですか」
 オスカーは言葉では答えず、先端に軽くキスをしてから口に含んだ。
「うわ、待ってください、こんなことは……ッ」
 裏筋に沿ってねっとりと丹念に舐め上げる。
「本当に、おやめください!」
 欲望は口腔いっぱいに膨張し、熱く脈打っている。こんな反応をしておいてよく言う――と、大文字で書いたような顔で、紅潮している男を見上げる。
「オスカー様っ」
 引き離そうと頭にかけられた手の、包帯の感触が嫌だ。胸を締め付けられたようになるから。
「守護聖様に、このようなことをさせるわけにはいきません!」
 オスカーは片手をひらひらっと振ってみせた。
「ああ、そいつなら本部においてきたから気にしなくていいぞ」
「はい?」
「炎の守護聖の肩書きは本部に置いて来た。だから、今の俺は私人だ」
 締め出されないように男の両足の間に膝を挟み入れ、立ち上がった。片手でそれを握り締めたまま、もう一方の手では相手を椅子の背に縫いつけるように肩を押さえつける。
「そういうことに、しておいた方がいいと思うぜ。さもなきゃ公私の別なくお前と接することになるわけだからな」
 頬を掠めるだけのキスをしてにっこりと笑いかける。
「30そこそこで将官はただでさえ異例の出世だろう? 守護聖様がご寵愛だからかと勘繰られちゃ、面倒な目にあうんじゃないのか?」
 思いっきり嫌な顔をされてしまった。
「どこの世界の恋人が、そんな脅しをかけるんですかっ」
 オスカーはすっぱり聞き流してシャツのボタンに指をかけた。
「怪我はその手と足だけだな?」
「はあ」
 相手をするのに疲れたような、少し不機嫌ないらえだった。
「いまいち信用ならんな」
 オスカーは自分の目で確かめることにしてシャツを完全に剥ぎ取った。
 とりあえず治療中のものはない。いや、ジーパンに包まれたままの両脚はどうだか分からないな。
「乗っかっても大丈夫か?」
「構いませんが……まだ慣らしてないでしょう」
 相手の気が変わる前にとオスカーはスラックスを脱ぎ捨て、向かい合わせに跨った。内ポケットから小さなビンを取り出したところでジャケットも床に放り出した。
 屹立するものにたっぷりとオイルを塗り、そのままの濡れた手で自分の後ろを押し開く。
 それを助けるようにヴィクトールの左手が核心に触れた。ゆっくりと侵入した指は、丁寧だが時折思いも寄らない動きをする。そういえばいつもは利き手を使うのだと気付いた。右腕は今、椅子の背の向こうにだらりと伸ばされている。
「はぁ…ああっ。……も、いいだろ? 早く、くれよ」
「もう少し、待ってください」
「ぁン……待てない」
 仕方のない、と吐かれた溜め息が首筋を撫で、背中をざわめかせていく。余計でも我慢がきかなくなった。オスカーは自重のままに腰を落とした。
「……く、ぅ」
 いつもよりも深く飲み込んでいる感覚が淫靡な気分を盛り上げる。
「こういうのも、悪くないな…」
 鎖骨を横切る傷も始めて見ると気付いて舌を這わせていたら、下から軽く突き上げられた。
「はぅっ」
 オスカーは男を睨み下ろした。
「動くなよ、傷に障るぞ」
 快楽への期待に揺れる腰を引き締め、男自身を締め付ける。
「今日は俺に任せろって」
「黙って見てるだけなんて、その方が身体に毒ですよ」
 ヴィクトールは苦笑して言った。目が情欲の色を宿している。
「黙っていろとは言ってない」
「ああ、オスカー様」
 ヴィクトールは耳を食むようにして、睦言をふたつみっつ囁いた。オスカーは赤らんだ顔を、彼の首筋に伏せた。
「あ……やっぱり、黙ってて…くれ」
「我侭ばかり仰る」
「っ、やめ……ふぁ」
 嬌声が口づけにくぐもる。オスカーはいっそう強く恋人に抱きついた。
 今、この瞬間には、ふたりの距離はゼロだ。


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