ドッグタグ

 自室の扉を開けると、オスカーが大型のベッドに寝転がっているのが目に入った。
 視察から帰ったら会いに行くと言われていた。訪ねて来はしないかと、教室を閉めるのを引き延ばしていた自分が滑稽に思えた。
 参ったな、と首を振りつつヴィクトールは上着を壁にかけ、アスコットタイを外し、ベッドに近づいて行った。
 Tシャツにカーゴパンツ。めずらしいくらいラフな、そこらの少年のような格好だったから、ボールチェーンのペンダントは単なるファッションだろうと思った。
 楕円のプレートを2つ連ねた銀色のトップが胸元に零れていた。
 ベッドに腰掛け近くで見て、おや随分リアルに作ってあるなと思った。
 目が無意識に文字を辿ったあとだった。
 真ん中でCを使うオスカー。
 それから?
 フルネーム血液型認識番号予防接種の種別。様式はもう何百年も変わっていない。
 よく出来た玩具だと思った、その勘違いに気付いた。
 模造ではなく、偽造と呼ばれるレベルの相似だった。もしそれがレプリカなら。
 ヴィクトールは腰を浮かした。
 瞠目し、声にならない声に口を開いた。
「……見たな」
 オスカーは目蓋をもちあげていた。特別に薄い青の瞳が覗く。困惑がその瞳に浮かんでいた。おどけてもからかってもいなかった。
「いえ」
 ヴィクトールは即答した。声が掠れた。見てはならないものを見た。
「……忘れます、すぐに」
「お前が知ったのは、そんな生っちょろい秘密か?」
 もちろん違う。守護聖は神秘の人神でなくてはならない。曖昧な言葉で隠される出身地。決して名乗られない家名。
 ヴィクトールは呼吸が浅くなるのを自覚した。
 オスカーは深く溜息をついた。力なく微笑んだ。
「厳秘事項を理由に、お前をこの地に留めてしまえたらいいのに」
 ヴィクトールは未だ凍り付いている。
「ああ、冗談だ。気にするな、ヴィクトール」
 彼は起き上がったオスカーの肩口に額を押し当てた。
 ひとめもふためも同じだと、そっと盗み見る。
 ぴかぴかのドッグタグは普段から肌に触れていたものとは思えない。ケースに収められたまま、大切に仕舞っておかれたのに違いなかった。気負う必要がある仕事をしてきたのだろうか、と不意に気付いた。まさかドッグタグの本来の役目を期待したわけではなかろうが。
 だがオスカーはそれを、自分に告げはしない。決して。
「なあ、あんたも持ってるだろう。一枚交換しようぜ」
 オスカーは返事も待たずにいそいそとチェーンを外している。
「そりゃ構いませんが…」
 ヴィクトールは苦笑いしつつ肯いた。
 ドッグタグはそもそも、混戦の中で人死にが出た時、後で本人確認しながら収容できるように一枚を亡骸の口に押し込み、一枚を持ち去るものだ。二枚一対なくては役には立たないが、気を許した人間と交換し合う習慣は古くからあった。
 死ぬな、と言われているのだろうか。自棄のきらいがあると思われているらしいのは感じてきた。
 だが何と思われているにせよ、自分は戦闘より災害救助のスペシャリストと見做されてきたし、階級の上がった今では現場に出る機会自体多くない。
 オスカーが彼の腿に手を置いた。
「お前の行くところへ、連れて行ってくれ」
 透き通るアイスブルーの瞳で彼を見た。
「喜んで」
 ヴィクトールは囁くように答えた。
 どこへだって。
 自分がそれを、墓まで持っていくだろうことが分かった。


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