in your dream

 一瞬の隙が閃く光のようにはっきりと見えた。
 オスカーはほとんど反射的に床を蹴った。
 僭帝を斬りつけたその時には完璧に平静だった。
 返す刀でとどめに心臓を刺し貫いた。刃先は床の、厚い絨毯に埋もれた。
 手ごたえを十分に感じ、絶命に至るまでの時間を十分に数え、ブーツで胸を踏みつけ、その反動で刃を抜いた。
 最後の残響が高い天井に吸い込まれるようにして消え、背後に小さな悲鳴を聞いた。
 警戒心の強い彼は本来止めを刺した後でも獲物に背を向けることを好まなかったが、後ろを振り返り、それからマントを外して遺骸に投げかけた。少女がそれを見なくても済むように。
「出よう」
と、言いながら一歩踏み出した。頭の中で屋外への最短距離をシミュレートしていた。この上なく落ち着いていた。
 彼は疲労甚だしい救世の少女を宿において、女王陛下の御許を目指した。
 禊を命ぜられて冷水を浴びながら、聖地の威光を守るためにどんな物語、どんな公式記録を残すことになるだろうかと、そればかり考えていた。
 省略された手続きを経て女王に拝謁した彼は、快活な笑顔ですべてが終わったことを奏上した。そうするのが当たり前だと感じていた。
 パーティは明るく華やいだものであるべきだとも思っていたので、勤めてそのように振舞った。合間を縫ってしばしの別れとなる少女を慰めた。小さく傷ついた存在をいたわり心を浮立たせるすべには彼は長けていた。とても穏やかに言葉を紡いだ。心も穏やかだった。
 聖地の日々は3日で馴染みの日常になった。
 楽園は平静に復した。
 その後で、悪夢はやってきた。



 草臥れた装備を手ずから処分しようとしていたら、背負い鞄から小さな小瓶が転がり落ちた。
 オスカーは腰をかがめて拾い上げ、まじまじと見た。
 呪いを解かれた人間から、お礼にと差し出された物のひとつだった。
 彼はそれを再び鞄の中に放り込んだ。
 最早用もない。この件に関して思い出の品など欲しくもない。
 だがそれを見た時に、そういえばあの男はとんでもない大罪を犯した割には、女王の臣民を死なせなかったな、と気付いたのだった。
 無勢で殲滅戦を挑むほど愚かではなかっただけだ。
 敵将を殺す以外の解決法など今になっても思いつかない。
 正しいことをしたのだ、と信じる以外に救いはない。
 それでも夜毎、侵略者の夢を見る。
 


 夕暮れのアルカディアを巡回していたオスカーは、町外れで思わず足を止めた。
 この地に来てからは、過ぎ去ったことを考えるような暇などなかった。
 眠りは深く、夜のうちに立ち上る幻想があったとしても、朝には記憶の中からすら消え失せていた。
 それは悪夢が実体を得て、俺の中から抜け出したからなのだろうかと、口に出したならばひどく奇妙に聞こえるだろうことは承知で、考えた。
「何見てやがる」
 街路樹の下のベンチに腰掛けた男が顔を向け、険のある声を投げかけた。
「アリオス?」
 名を呼ぶ囁きは夜風にかき消されそうなほど小さく、震えていた。
 弾かれたように男が立ち上がった。
「俺を知ってるのか?」
 オスカーは少し考えるような間を取ってから頷いた。
「……一度も二度も同じだな」
 と、自嘲するように言った。腰間の剣に手を触れ、改めて足を踏み出した。一歩一歩確かに。初太刀の勢いを殺さないために、鞘から軽く浮かせるだけでまだ抜刀しない。
「何だって?」
 聞き返した後で殺気に気付いた男が愕然と目を見開く。
 白々しい奴だ、と今では相手を嘲るようにオスカーは言う。
「今度は、情がうつる前に斬る」
「待て、落ち着け!」
「黙れ!」
 斬撃を紙一重のところで避けた男は、ベンチの後ろへ逃げ込んだ。
「危ねえやつだな……誰が黙るかよッ」
 街路樹を挟んで追いかけながら怒鳴りあう。これではまるでガキの喧嘩じゃないか、とオスカーは苛立った。
「この……ふざけるなっ」
 ベンチの座面を踏み台にして背もたれを飛び越え、相手に肉薄する。上段から首筋を狙って切り下したものを白刃が迎え撃った。愛刀に比べると格段に細身の太刀は力押しになれば不利なはずだったが、持ちこたえて綺麗に受け流され、敵意に火がついた。
「おい、話を聞けって」
「お前はとっくに死んだ人間だ。未練がましいにもほどがあるぞ」
「人違いだ!」
 よくもぬけぬけと言いやがる、と舌打ちをしながら、それでもオスカーは改めて男の顔を見た。金と緑のオッドアイ。
「嘘をつけ」
 視線を合わせた状態からフェイントをかけ、急転回する。かかった。
「俺は何も――ッ」
 懐に飛び込もうとした刹那、ぎらりと。
 刀身に反射する残照が目を射た。
 まずいと思ったときにはもう水月を蹴り飛ばされていた。節くれ立った木の幹が勢いよく背中に当たって一瞬息が詰まった。
 が、獲物はまだ手にあった。
 横一文字を描いて喉元につきつけられる剣を見る。柄を握り締めた男の両手は、力を込めすぎて白くなっている。
 殺せるはずだった。初めてのことじゃない。
 殺せるはずだった。もう一度――何度でも!
 だが、悪夢がついに自分に勝ったのだ。
 些細な思い出の数々や、涙を堪えて痛んだ喉の感覚や。
 それらすべてが心を折った。
「剣を棄てろ」
と、相手が言い終わるか否かですでにそれはオスカーの手を離れていた。アリオスはそれを遥かに蹴り飛ばした。オスカーは目で追うこともしなかった。
「おい」
 アリオスは低く呼びかけた。片手で喉元に剣の腹を突きつけたままオスカーの顎を掴んだ。気味の悪いものにでも触れるように指先だけで、強く力をこめて。
「あんた、殺されてぇのか」
 オスカーは強いられてゆっくりとアリオスを見た。夢に見たとおりの白い面だった。
「……だったら今度は、お前が悪夢を見る番だな」
 かつて見慣れていた顔が、何一つ欠けずにそこにあった。彼の努力を無にして、そこにあった。
「毎晩毎晩……冗談じゃない、いい加減に消えてくれ。俺はもう、とっくにうんざりしてるんだ!」
 オスカーは、怒りに燃える目で男を睨みつけた。
「何言ってるのか分かんねぇよ」
 アリオスは軽く顔を顰め、相手のおとがいから手を離し、自分の頭をぐしゃぐしゃにかいた。
「つーか、俺はあんたを覚えてねえんだけど」
 オスカーは深々と溜息をついた。
「それでも悪夢は来るさ」
 眠りを侵食されるほど心奪われていたのなら、どうして化けて出ないでいられようか。
 ああ、ちっとも好きじゃないと思っていたのに。


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